2011年6月
存在感
なんだかんだで忙殺必至だった6月ももうすぐ終わります。
死んでません。どうにか。
たぶん何か手を抜いたのだと思います。
いえ、抜きました。
赦せないこと、今までだったら絶対に赦してないことも、赦しました。
と言うより、あきらめたと言った方が適当ですが…。
そうでなかったら、本当にやばかった。
最後の最後までファイティングスピリッツの感じられない子には、
とうとう最後まで本気になれませんでした。
申し訳ないけど、100%の力で指導できませんでした。
当然結果もでません。当たり前です。
むしろ出ない方が良かった。
やはり最後は生徒ひとりひとりの意志なんだ。と思います。
それが存在感なんだと思います。
私は、誰かに幸せにしてもらうのを待ってる子にたやすく手を貸すほどできた人間ではありません。
そんなことしてたらまずそいつがダメになるからです。
存在感のある人間になってほしい。
それだけなんだけどなぁ…。
スペシャル!
雨模様のため、撮影会の予定に写真展の見学を入れながら天気の回復を待つことに。
午前中、東京都写真美術館で「こどもの情景」、「ジョゼフ・クーデルカ プラハ1968」、昼食を挟んで、「世界報道写真展」をハシゴ。
いやぁ、重かった(内容が)。
「こどもの情景」の方もサブタイトルが「戦争とこどもたち」だったのでつらい写真もあったりして、胸にズシリときました。
「世界報道写真展」も結構ショッキングなものもあって、写真展デビューの1年生には結構きつい内容だったかもしれません。
でも、これが写真のチカラなのですよ。
恵比寿での見学を終えてもまだ雨が上がる様子もないので、地下鉄で銀座のキヤノンへ。
土屋勝義さんの「瞳の天使」は、滝沢カレンさんを撮った写真展。
ちょうど土屋さんがカレンさんとギャラリートークをされている真っ最中でした。
一段落したところで、参加者のみなさんとの記念撮影だったのですが、
特別に「高校生の部」をもうけていただき、みんなで撮影。
その後もいろいろとレクチャーしてもらったり、サインをしてもらったりと、なんだか恐縮の展開…。最後には握手しながらお見送りまでしてもらって、申し訳ないったらありゃしない。
これが夢のような出来事だってことは、居合わせた大人たちのうらやましそうな眼が語ってましたよ。若いってのは得です。
土屋さん、カレンさん、ありがとうございました!
南風堂写真館
文化祭での作品展「南風堂写真館」が終わりました。
今年もたくさんの方々のご来場をいただいて、盛況でした。
1年生は、あの規模とお客さんとOBの多さにちょっとビックリしたんじゃないでしょうか。
そう、でもそれが南風堂写真館なんですよ。
本当はもっとOBたちと触れあってほしかったのですが、記録撮影とかの仕事も入っていたし、なかなか思うようにはいかなかったのは残念でした。OBも毎年増えていくし(当たり前か)、せっかく来てくれても(今回は大阪から駆けつけてくれてました)紹介のチャンスがないと一般のお客さんと区別できないし、それがもとで失礼もあったんじゃないかなと思います。そこで次回の校外展からは、「OB認識システム」を導入することにします。OBのみなさん、これに懲りず、また次回も足を運んでくださいね。
とにもかくにもOBのみなさんには感謝、感謝です。
ムーブメント
ある日の新聞の一枚の写真がきっかけで動き出した活動が、
カタチになろうとしています。
震災直後、あの非常事態の生活のもとで、
準備を進めてきた校外展も中止となり、
とても写真どころではありませんでした。
そんな中、SaKaE写真部は考えました。
「私たちにできることは何だろう。私たちにしかできないことは何だろう。」と。
そしてSaKaEは「写真のチカラ」を信じて、被災地への応援メッセージを撮り集めることを始めました。
撮影を開始してからやく1ヶ月半。およそ486組、約1100人もの方々からのメッセージをいただくことができました。
5月28日(土)、29日(日)の二日間、仙台市の勾当台公園での「とうほく元気まつり」の一角をお借りして、SaKaEが撮り集めた写真を地元の方々に見ていただくチャンスをいただきました。
当日は地元・柴田農林高校の呼びかけで、宮城県内の高校写真部が集まって、アンサーショットを撮影しはじめました。
これを機に、今後は宮城の高校写真部が被災地に私たち写真を携え、アンサーショットを撮り集めていく活動を展開していくことになっています。
そして、最終的には「送信」と「返信」を集めて北海道・東川町などで写真展を開いて広くみなさんに見ていただこうと考えています。
写真のチカラをあらためて感じるイベントになれば、高校生たちの努力も報われます。
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