« 部員勧誘 | トップページ | 部員勧誘~その2 »

「あらしのボートレース」

554_5412_6  早慶レガッタを見に行きました。

そこでたまたま出会った人はあの「あらしのボートレース」のときの早稲田のキャプテンでした。

今から50年前、1957年の早慶レガッタは嵐の中でおこなわれ、先行した慶応艇が途中で浸水、沈没してしまったという事件の起きたレースとなりました。この事件にまつわるエピソードはやがて小学校6年生の国語の教科書に取り上げられて、スポーツマンシップについて考える教材として多くの人に読まれました。

そのエピソードを教科書の文章で紹介します。(以下、引用)

「あらしのボートレース」

 昭和32年5月12日、伝統の第26回早慶ボートレースが行われました。前夜からの雨は、まだやまず、さらに、春特有の強風に加えて、隅田川の水面には、かなり大きい波が立っていました。

 この一戦に備えて、早稲田・慶応の両大学ボート部の選手たちは、長い間、はげしい練習を重ねてきましたが、試合前の予想では、慶応の勝利がほとんど確実であると見られていました。というのは、慶応のボート部は、その前年のメルボルン・オリンピック大会にも参加しており、その時の選手の一部が、まだ残っていたからです。
しかし、この悪条件では、勝敗は、はたしてどうなるかわかりません。慶応のかんとくは、レースに先だって、選手たちに言いました。

 「みんな、全力をふりしぼってこいでくれ。この波では、ボートの中に、水がはいってくるかもしれない。しかし、ボートレースというものは、あくまでも、みんなが力をあわせてこぎぬく競争だ。もし、はいってくる水に心をうばわれて、ふだんの練習の力を出せなかったら、相手の選手に対して失礼なことだ。どんなに苦しいことがあっても、力いっぱい戦うことが、スポーツマンにとってたいせつなことなのだ」

 一方、早稲田のかんとくは
「たとえ、試合には負けても、けっして、ボートをしずめてはならない。ボートをしずめることは、ボートマンにとって、もっともはずかしいことだ。きょうは、波がたいへん高い。もし、ボートに水がはいってきたら、4人でこいで、残りの4人は水を出してもいい。みんな、最後までがんばって、ボートをしずめないでくれ」
と言って、各選手に、水をくみ出す器をわたしました。

 スタート直後、両国橋付近までは、予想通り、慶応が、だんぜんリードしていました。かさをさして試合を見ていた観衆も、ほとんど、その勝利を信じていました。
ところが、蔵前橋を過ぎるころから、慶応のボートは、しだいにおくれ、早稲田が、じりじりと、差をつめ始めました。

 慶応のボートには、だんだん、水がはいって、ついには、選手のこしをぬらすほどになってしまったのです。それでも、選手たちは、誰ひとりオールを放さず、力いっぱいこぎ続けました。しかし、ついにゴールにははいれず、ボートはしずんでしまいました。

 早稲田のボートでは、水がはいってくると、何人かの選手がくみ出し係になって、はるか前方を行く慶応のボートの速さに、くちびるをかみながらも、少ない人数でこいでいました。しかし、しん水で速力のおとろえた慶応を、駒形橋の近くで追いぬき、勝敗は逆転したのです。

 ところが、岸に上がった早稲田の選手は、しんぱん長に、試合のやり直しを申し出ました。「これは真の勝利ではない。この悪天候では、ほんとうの力は出せない」というのです。しかし、しんぱん員の相談の結果、申し出は採用されず、早稲田の勝利と認められました。

 慶応の選手たちは「試合に対する準備が足りなかったのだから、早稲田の勝利は正しい。明らかに負けたのだ」と言って、早稲田の勝利に、心からの拍手を送りました。

そんな歴史の中に今の人たちが忘れかけている大切なものを見た気がしました。対校戦ってライバル校同士が激しくしのぎを削るイメージの裏側に「相手あっての自分」といった意識があって、けっして勝敗以上に得るものが大きいはずで、今の子たちにはそんな経験こそが必要なのではないか…と帰りの電車の中で考えていた私です。

|

« 部員勧誘 | トップページ | 部員勧誘~その2 »

「日々のぼやき」カテゴリの記事

コメント

このエピソード、小学校の時国語の教科書で読んで感動したような気がします。数ヶ月前朝日新聞に関連の記事がでていてさらに感動が深くなりました。その時のレースの審判長の墓銘碑でした。彼は審判員をまとめ試合は有効と判断したのですが実は慶応の人でした。重なるフェアプレイの精神に乾杯

投稿: 小野七生 | 2008年8月16日 (土) 22時13分

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



« 部員勧誘 | トップページ | 部員勧誘~その2 »